天満市場の歴史

天満市場

日々朝ごとに多くの人が集まって菜蔬を商う場所。天神橋北詰上手から東へ竜田町まで。かつて京橋南詰にあったものが慶安のころ(1648~1652)に替地として当地に移動した。春から師走まで一日も暇なく、特に秋の「栗市」「松茸市」、冬の「蜜柑市」は夜の市で、『浪花の賑わひ』には「松明挑灯を数多照らしていさましく、目覚むる心ちせらる」賑わいをみせたと記されている。

発 祥

大阪の豪商「淀屋」の2代目个庵(こあん)が、自分の屋敷に開設した青物市場は、現在の北区天満2~4丁目、天神橋1丁目、南天満公園付近一帯に広がり、江戸時代「天下の台所」として聞こえた大阪を象徴する市場でした。
これが現在の天満市場の先祖です。その後何度か場所を替えながら、承応2年(1653)、京橋の北詰・片原町から天満橋を渡ったところ(現在の南天満公園)に落ち着いた市場が、天満市場の前身です。

変 遷

大川に面して水運の便がよかったことから、市場は急速に発展、毎日数万人の商人が集まり品物を買い求めました。
野菜を売った農家の人達は天満宮へ参拝したり、芝居を観たり歓楽街で遊んだり…と界隈はとても賑わいを見せていましたが、この市は昭和6年(1931)に福島区の大阪中央市場へ統合されました。

現 在

その市場も昭和20年の大阪大空襲ですべて焼失。現在の「天満卸売市場」は昭和24年に池田町(元東洋紡績天満工場跡地)に再建されたものです。
当初は卸売りが中心で、小売を始めるようになったのは、十数年前のこと。今では誰でも卸値で買い物ができるようになりました。

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